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「銀杏の中の桜」──もうひとりの主人公

 ちょっと論理の展開がおおざっぱですが、大目に見てやってください。いつか書き直します。


1.二条乃梨子のもうひとつの可能性

 ぼくは時々、以下のような疑問を覚えます。
 はたして乃梨子は、志摩子の妹として創造された登場人物なのだろうか?
 もしかしたら、『マリア様がみてる』という作品において、あくまで山百合会は添え物であって、メインは乃梨子と学園生徒とのさまざまなやりとりにあったのではないか──と。

 なぜ、このような考えを抱くに至ったのか。
 それは、この長期シリーズにおける、「銀杏の中の桜」という物語の異質性と、以後の乃梨子の影の薄さからです。


2.二条乃梨子

 「銀杏の中の桜」(『チェリーブロッサム』所収)は、元は、『マリア様がみてる』の中で、一番最初に発表された短編「マリア様がみてる」でした(実物を見たことはありませんが……)。

 「銀杏の中の桜」は、主人公である仏像マニアの二条乃梨子が、ミッション系のリリアン女学園で四苦八苦するという、実にコミカルなエピソードになっています。
 その他の主要登場人物も、

・藤堂志摩子:ミッション系スクールなのに家が寺
・松平瞳子:いい子ぶりっこのトリックスター

 と、なかなか個性豊かで、「学園コメディ」として描かれていることがわかります。
 乃梨子は、リリアンという閉鎖空間の外部からやってきた存在であり、リリアンの慣習に対し、恐れやこだわりがありません。
 故に彼女は、リリアンのシステムの上位(山百合会)に属する志摩子と対等につき合う一方で、リリアンのシステムの代表とも言える瞳子と対立、勝利を収めることができるのです。

 この構造は、実のところ、少女マンガの王道といっていいものでしょう。
 主人公は平凡ながらも、その「平凡」が通用しない世界に飛び込んでしまうことで、「平凡」こそが「特別」になってしまうわけです。
 このことにより、「平凡」である大半の読者は、同じく「平凡」である主人公に感情移入しつつも、「自分が特別である」という満足を享受できるわけです。

 もっとわかりやすく説明すれば、この構造は、いわゆる「異世界物」で多く見られます。
 例えば、主人公はいたって平凡な現代人だとしましょう。まあ、これを読んでいるあなたということでも構いません。
 ある日あなたは、剣と魔法のファンタジー世界に迷い込んでしまいます。戦士やら魔法使いやら、ホビットやら邪悪なオーク鬼がいる中で、ジーパンにつっかけというあなたの姿は、非常に浮き立つでしょう。
 しかもあなたは、異世界にはない、現代科学の知識を得ているわけです。むろん、この知識が利用できるかはわかりませんが、他の人にはないアドヴァンテージを得ていることに違いありません。
 あなたは、目の前のファンタジー世界のある部分(自然が豊かだとか、魔法が存在するだとか)を好きになり、ある部分(命の危険があるとか、食事がまずいとか、風呂に入るチャンスが少ないとか)を嫌うことでしょう。
 文化の違いによって生じるであろうコメディ部分にも目を向けましょう。

 「銀杏の中の桜」は、こうした異世界要素が非常に強調された作品でありました。乃梨子は間違いなく、「学園コメディの主人公」として描かれていたのです。


3.福沢祐巳

 さて、「銀杏の中の桜」の次に発表されたらしい作品が、第一巻『マリア様がみてる』です。
 主人公である平凡なリリアン生徒の福沢祐巳が、『紅薔薇のつぼみ』小笠原祥子にたまたま選ばれてしまうことから始まります。「銀杏〜」と違い、強調されるのは、祐巳が山百合会という特殊な環境に、どう対応していくのかという点です。

 祐巳は乃梨子と同じように、やはり「平凡」です。が、乃梨子とは「平凡」の質が違います。
 彼女は、乃梨子と違い、リリアンという「異世界」にずぶずぶに染み込んだ中での「平凡」です。よって、リリアンの中で「特別」になることはありません。
 彼女が特別になる場所は、超人たちが集う「山百合会」という世界においてなのです。

 先ほどの異世界に例えるなら、祐巳は現代社会から異世界に来たわけではなく、異世界の平民階級から貴族階級に突然放り込まれたわけです。まあこれは、劇中劇シンデレラでそのまま直喩されているわけですが。


4.乃梨子と祐巳の比較

 まとめてみましょう。

(舞台)
乃梨子……「外部」に存在していた乃梨子が、「リリアン」に放り込まれる。
祐巳……「リリアン」に存在していた祐巳が、「山百合会」に放り込まれる。

(能力)
乃梨子……「外部」にいたので、乃梨子は「リリアン」に対し恐れを知らない。
 あくまでリリアンと対等な存在。
祐巳……「山百合会」は「リリアン」の上部構造なので、基本的に祐巳は無力。

(物語)
乃梨子……「外部」代表である乃梨子と「リリアン」との対立と融和。
祐巳……「リリアン」代表である祐巳が「山百合会」に融和。

 え、これまで、こんな論旨の展開をさせてきたか、って? ……そう言われると弱いなあ。まあ気にせんでくださいよ。

 重要なのは、『マリア様がみてる』からは、乃梨子による、「リリアンとの軋轢によるコメディ」ではなくなり、祐巳による、「山百合会という制度におけるさまざまな物語」になっていった、ということです。


5.『チェリーブロッサム』における、読者と乃梨子の再会

 時は過ぎ、『チェリーブロッサム』が発刊されます。
 そこで展開される物語は、一番最初に書かれた物語だというのに、これまでとはまったく異質なものでした。
 なぜなら、祐巳によって山百合会が全面肯定されてしまった現在、乃梨子によるリリアンとの軋轢など必要なくなっていたからです。
 それは、続刊『レイニーブルー』所収の「ロザリオの滴」において、よりはっきりします。乃梨子は志摩子の妹になってしまい、まったくリリアンと同化してしまうのです。
 さらに、福沢祐巳という主人公がすでに存在する以上、「主人公としての二条乃梨子」は、『マリみて』の世界に必要ない存在となりました。
 こうして、乃梨子が当初持っていた「特別性」は失われてしまい、以後、祐巳・由乃・志摩子の一段後ろの位置に甘んじなければならなくなったのです。


6.乃梨子の現在

 ここで、最初の問題提起に戻ります。
 はたして乃梨子は、志摩子の妹として創造された登場人物なのだろうか?
 もしかしたら、『マリア様がみてる』という作品において、あくまで山百合会は添え物であって、メインは乃梨子と学園生徒とのさまざまなやりとりにあったのではないか?
 あるいは、志摩子の妹となる展開は存在したかもしれないが、「ロザリオの滴」のような、すんなりとしたものではなく、いくつかの事件のあとの話だったのではないか。

 乃梨子は「影が薄い」と書きました。
 それは、一面では真実ですが、彼女は読者に(そしておそらく作者にすら)目立たない場所で、着々と行動します。
 彼女が採った最大の行動が、祐巳と瞳子のキューピッドの役割です。作者すらも予想しなかったというこの役割は、一番初期に掲載された短編「マリア様がみてる」の時に種が蒔かれていたのだとも考えられます。彼女は文字通り、「影の主人公」として、当初の役割を全うしたのです。
 もし、乃梨子が主人公のままだったら、サブエピソードとして、「かつての宿敵」松平瞳子と、『紅薔薇のつぼみ』祐巳との仲を取り持つ展開があったのかもしれませんね。

July.26.2007 コタニ
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