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Tigermilk



 お姉さま方は受験勉強のため、一足早く下校し、志摩子は日舞の稽古だとかで先に帰ってしまった。
 薔薇の館の二階に残っているのは、祐巳と由乃の、いつものぼんくらふたり組だ。
 テーブルから食器を片づけ、台所で洗い物に取りかかる。
 かちゃかちゃという音だけじゃ味気ないので、たいていふたりとも、とりとめのないことをしゃべっている。
「やっぱりサニチバよ、サニチバ!」
「『さにちば』?」
「千葉真一のことよ、祐巳さん。『激突! 殺人拳』、知らない?」
「知らない」
「もー、祐巳さんも、もっと時代物見るべきよ。『トミサブロウ』とか、『キンノスケ』とか……」
「あはは……」
 授業でなにがあったとか、芸能人の話だとか、由乃の趣味の時代小説のこととか、もちろん、ふたりのお姉さまのこととか。
 おとなから見れば、意味のない内容。
 祐巳は、この時間が好きだった。
 元からおしゃべりが好きだったってこともあるけれど。
 今日も、『他愛のないおしゃべり』をして、ふたりで館を出て、ふたりで帰るはずだった。
 自分のお姉さまと一緒に帰れないのはつまらないが、由乃や志摩子と過ごす時間は、別の楽しさがあった。
 同級生だけの、気兼ねしなくていい、居心地のいい空間。
 自分の妹が誰になるかわからないけれど、やっぱり、こういうつき合いをできるとは思えない。
「妹、か……」
 由乃は、大げさに肩を落とし、ため息をついた。
「菜々ちゃんとは、うまくいってないの?」
「うまくいくというか、いかないというか……それ以前の問題みたい」
 菜々というのは、由乃が妹に、と目をつけた中等部の子だ。
 つい先日の、令さまの剣道大会の時、「妹はまだか」と江利子さまに詰め寄られ、由乃はそこで、とっさに側にいた生徒を示したのだ。
 その話を聞いた時、祐巳は、お姉さまである祥子さまに選ばれたあの日のことを思い出したものだ。
「だから、きっとうまくいくよ。私とお姉さまも、うまくいってるじゃない」
「そうだけどさ……でも」
 祐巳は、きゅっ、と蛇口を閉めた。
「あれ、うまくいってないように見える? あ、私も『黄薔薇革命』した方がいいかな」
「もう、祐巳さんたら! だいたい祐巳さんなら、『紅薔薇革命』じゃない?」
「語呂悪いし、やめとく」
 ふたりは、ころころと笑った。
「……でもさ」
 閉めたはずの蛇口から、水滴がひとしずく、ぴと、と垂れた。
「なんで私たち、同じ年に生まれたんだろうね」
「なんで、って? ……あれ?」
 蛇口から、また、ぴと、ぴと、と垂れる。
 祐巳は蛇口に力を込めた。
「もし、もうちょっとだけ私が早く生まれてたら、祐巳さんの先輩になっていたかもしれない。『祐巳さん』じゃなくて、『祐巳ちゃん』って」
「そうかも。……おかしいなー」
 返事をしながらも、祐巳は懸命に、蛇口を閉めようとした。
 でも、祐巳がいくら力を込めても、水滴は出てくる。
「もしかしたら、祐巳さんの、お姉さまになってたかもしれないんだよ。そうしたら、『祐巳』、って呼び捨てに呼んでた」
「あはは」
 今度は、祐巳ひとりだけしか笑わなかった。
 その時初めて祐巳は、親友が、自分の顔を、じいっと見つめていることに気づいた。
「……どうしたの、由乃さん」
 由乃は、押し黙ったまま、祐巳を見つめていた。
 祐巳も、釣られて、黙りこくった。
 能面のような、由乃の顔。
 心なしか、顔が青い。
 こんな顔は、見たことがなかった。
 ぴと、ぴと、ぴと、ぴと。
 蛇口の水は、止まらない。
 由乃は自分に、なにを求めているのだろう?
 由乃も、自分のように、百面相してくれればいいのに。
 祐巳は、由乃に、恐怖さえ覚えた。
 ぴと。
 ぴと。
 ぴと。
 ぴと。
「祐巳」
 ようやく、由乃が口を開いた。
「……祐巳さん」 「な、なに?」
「水道管、修理が必要かな」
「あ……うん。帰りがけに職員室に寄って、頼んでこう」
「お願いね」
 言うなり、由乃は、椅子に座り込んだ。
「どうしたの?」
「ちょっとだけ、休んでく」
「え、まさか」
「心配いらないから。お姉さまにも、言わないで」
「でも……」
「親友なら」
 と、区切ってから、由乃は続けた。
「親友の、頼みよ」
 祐巳は、心を残しながらも、ごきげんよう、と部屋をあとにした。
 由乃は、ひとりきりで、胸を押さえた。



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