Top  ■Profile  ■Blog  ■SS  ■Note  ■Concept  ■Link  ■Mail Form

Stay Loose



 夏休みの前から準備していただけあって、学園祭は無事終了した。
 夕方になると、校庭には、去年と同じようにファイヤーストームが焚かれる。天を焦がさんと立ち上る炎に、校内の人々が集まり始める。
 スピーカーから、オクラホマミキサーが流れると、人々は、隣人に手を伸ばし、ダンスの輪ができる。
 今日一日、いろんなことがあった。
 瞳子ちゃんが出演した『若草物語』は無事成功して(わがままな末娘エイミーは、瞳子ちゃんのハマり役だった)、祐巳(と祐麒)が主演だった生徒会のお芝居『とりかえばや物語』もある意味成功して、ついでといってはなんだけど、聖さまや蓉子さまの助力もあり、細川可南子ちゃんとお父さんが仲良くなれて。
 もちろん、クラスの出し物の屋台だって、ちゃんと売り子として売り上げに貢献できた……と、思う。
 祐巳はなんだか、今日一日で半年……とはいわずとも、三ヶ月分くらいを過ごした気分になった。
 去年の学園祭だって、実に濃密な内容だった。
 学園祭の始まる一週間前、ひょんなことから山百合会を手伝うことになり、あろうことか、平々凡々を絵に描いた祐巳が、紅薔薇のつぼみの妹(ロサ・キネンシス・アンブゥトン・プティスール)になってしまったのだ。
 去年が大砲の弾を撃ち込まれたとすれば、今年は機関銃の一斉掃射だ。
 残ったのは、大きな疲労。
 ダンスに混ざる気も起きず、トラックの土手に、ぼけーっと座り込んでいた。
「お、見事な無の境地」
「はえ? ……せ、聖さま」
 祐巳の隣には、いつのまにか聖さまが、並ぶように座っていた。
「初めて見たかも。祐巳ちゃんの、なーんにも考えてない顔」
「蓉子さまとご一緒ではないんですか?」
「蓉子は、祥子と……ほら、あの子、電動ドリルの」
「……瞳子ちゃん?」
 瞳子ちゃんのトレードマークの縦ロールが、聖さまには電動ドリルに見えるらしい。
「そそ、あのふたりと一緒。積もる話もあるんじゃないかな」
 去年までは、そんなことを言われたら、嫉妬まではいかなくても、やきもちを妬くくらいはしただろう。
 いまは違う。
 蓉子さまと自分は違うことが、ちゃんとわかっていた。
 祥子さまにしてあげられることも、全然違う。
「おとなになったね、祐巳ちゃん」
 聖さまが唐突に切り出した。
「はい?」
「さっぱりした顔、してるから」
「ど、どうも……」
 照れながらも、祐巳は、聖さまに違和感を抱いていた。
 いつも通り飄々としながらも、その底には、怖いなにかが潜んでいるようだった。
 目と鼻の先にいるのに、聖さまが、遠い存在のように感じられる。
 祐巳に、一瞬の隙が生まれた。
「ゆーみちゃん!」
 聖さまが両手を広げたと思うと、真正面から、むぎゅ、と抱きつかれる。
「ぎゃああ!」
「お、ひさしぶり、威勢のいい声。うーん、やっぱりたまらんのー、この抱き心地」
「聖さま、聖さま!」
 夕方の校庭、さすがに人目がありすぎる。祐巳はばたばたと抵抗するが、抵抗すればするほど、聖さまは抱きつく力を強める。
「いいじゃなーい、みんなダンスに夢中だって。それに私は、見られたっていいよ」
「私が困りますー!」
「ほら、オクラホマミキサーって、プロレスの必殺技の名前みたいじゃない。だからこっちもプロレス、プロレス、ベアハッグ」
 なんてセクハラ親父っぷりだ、聖さま。
 しばらくもがくも、観念して、力なくうなだれる。
 いつもならこのあたりでやめるのに、聖さまは、一向に抱きつく力を弱めようとしない。
「……志摩子さんと、会いました?」
 ふと思い立って、祐巳は尋ねた。
「会ってない」
 ややぶっきらぼうに、聖さまが答える。
 抱きついたままだから、お互いの顔は見えない。
「さっきいましたよ、キャンプファイヤーの近くに。乃梨子ちゃんと一緒です」
「うん」
「乃梨子ちゃんとは会いました?」
 聖さまは首を振った。
「孫ですよ、マゴ」
「志摩子って、あんな顔するんだね」
「え?」
 聖さまの顔を見たくても、抱きつく力が強くて見えない。
「私ね、卒業式の前の日、ものすごく勇ましいこと言っちゃったでしょ。祐巳ちゃんのおかげで、卒業できた、って」
「はい」
「全然、そんなことなかった」
「えーっと、私の力不足でしょうか」
「ううん、私のせい」
 聖さまは、余計に力を込めてきた。
 冗談じゃなく、少し、息苦しいくらいだ。
「あ、あの……」
「大学で、授業を受けて、先生と仲良くなって、友だちもできて。そうして初めて、自分が失ったもの、失っていたものっていうのがわかったんだ」
「なん……ですか?」
「私はね。三年になって、志摩子と出会うまで、死体だったんだ。ゾンビみたく、ウーウーうめいてた。自分が死んでることにも気づかないでね」
 聖さまは、いったん言葉を切り、続けた。
「失った時間は、戻ってこない。三年になるまでの、死体だった二年間は。志摩子からも、お姉さまからも、祐巳ちゃんからも、蓉子や江利子からも、他のみんなからも……シオリからも、いろんなものをもらっていたのに」
 そして、そっとつけ加えた。
「私はゾンビだったから、生きてる人間の食べ物が食べられなかったんだ」
 『死体だった時間』なんて言われても、祐巳には想像もつかなかった。
 祥子さまと出会う前は、友だちとなんでもないおしゃべりをして、些細な事件にいちいち驚いて。
 祥子さまの妹になってからは、毎日が楽しかった。祥子さまといるとどきどきした。山百合会の仕事を手伝わせて、生き甲斐ができた。
 それに、聖さまは、いつだって相談に乗ってくれた。
 祐巳の手にあまる事件が起きた時は、一番心強い味方となってくれた。
 いまみたいに抱きしめてくれて、祐巳の悩みを受け止めてくれた。
 悩んでない時でも抱きつかれていたけれど。
「だから、ゾンビだったなんて言わないでください」
 祐巳は、聖さまの背中に腕をまわすと、少しだけ力を込めた。
 自分の体温が、少しでも伝わるように。
「聖さまの体は、こうしてあたたかいじゃないですか。ゾンビって死体だから、あたたかくないんでしょう?」
 いつのまにか、人目なんて気にならなくなっていた。
 どのくらい抱き合っていただろうか。
 音楽が一巡し、ファイヤーストームの方で歓声が起きる。
「ありがと。本当に祐巳ちゃんからは、いろんなものをもらった」
 聖さまは、体をゆっくりと離すと、祐巳を真正面から見つめた。
「好きだよ、祐巳ちゃん」
「え……?」
 そのまま、聖さまの顔――というより唇が、今度はごく自然に近づいてきて。
 唇が、頬に触れる。
「…………!」
 ぱくぱくと金魚のように口を動かす祐巳。
 聖さまは立ち上がると、裾を威勢よく、ぱんぱんとはたく。
「いつかの、お返し」
「あ……ああ」
 卒業式前日の、祐巳から聖さまへの、頬へのキス。
「どうも……ありがとうございます」
 なんとか、それだけ答える。
 聖さまは背を向け、つぶやいた。
「嘘じゃ、ないからね」
「へっ?」
「『好き』、って言ったこと」
 祐巳は絶句した。
 聖さまの考えていることがつかめない。
 いいや。
 心の中では、わかっているのだ。
 理性が、「そんなことあるはずがない」と、真正面から否定しているだけ。
 祐巳は手を伸ばし、引き留めようとしたが、言葉が見つからない。
 聖さまの後ろ姿が、闇に溶け込むように消えていった。
 ダンスはまだ続いている。
 みんな、楽しそうに踊っている。
 あの焚き火のまわりで踊っている人たちの、何人が再び出会うのだろう。
 いま、この学園にいる人間の、何人が知り合い同士で、何人と知り合わずに卒業していくのだろう。
 その中に、これから出会う人間、大事な存在になる人間が、どれだけ存在するのだろう。
 祐巳は、無性に泣きたくなるのだった。



このページのトップへ