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Stay Loose 夏休みの前から準備していただけあって、学園祭は無事終了した。 夕方になると、校庭には、去年と同じようにファイヤーストームが焚かれる。天を焦がさんと立ち上る炎に、校内の人々が集まり始める。 スピーカーから、オクラホマミキサーが流れると、人々は、隣人に手を伸ばし、ダンスの輪ができる。 今日一日、いろんなことがあった。 瞳子ちゃんが出演した『若草物語』は無事成功して(わがままな末娘エイミーは、瞳子ちゃんのハマり役だった)、祐巳(と祐麒)が主演だった生徒会のお芝居『とりかえばや物語』もある意味成功して、ついでといってはなんだけど、聖さまや蓉子さまの助力もあり、細川可南子ちゃんとお父さんが仲良くなれて。 もちろん、クラスの出し物の屋台だって、ちゃんと売り子として売り上げに貢献できた……と、思う。 祐巳はなんだか、今日一日で半年……とはいわずとも、三ヶ月分くらいを過ごした気分になった。 去年の学園祭だって、実に濃密な内容だった。 学園祭の始まる一週間前、ひょんなことから山百合会を手伝うことになり、あろうことか、平々凡々を絵に描いた祐巳が、紅薔薇のつぼみの妹(ロサ・キネンシス・アンブゥトン・プティスール)になってしまったのだ。 去年が大砲の弾を撃ち込まれたとすれば、今年は機関銃の一斉掃射だ。 残ったのは、大きな疲労。 ダンスに混ざる気も起きず、トラックの土手に、ぼけーっと座り込んでいた。 「お、見事な無の境地」 「はえ? ……せ、聖さま」 祐巳の隣には、いつのまにか聖さまが、並ぶように座っていた。 「初めて見たかも。祐巳ちゃんの、なーんにも考えてない顔」 「蓉子さまとご一緒ではないんですか?」 「蓉子は、祥子と……ほら、あの子、電動ドリルの」 「……瞳子ちゃん?」 瞳子ちゃんのトレードマークの縦ロールが、聖さまには電動ドリルに見えるらしい。 「そそ、あのふたりと一緒。積もる話もあるんじゃないかな」 去年までは、そんなことを言われたら、嫉妬まではいかなくても、やきもちを妬くくらいはしただろう。 いまは違う。 蓉子さまと自分は違うことが、ちゃんとわかっていた。 祥子さまにしてあげられることも、全然違う。 「おとなになったね、祐巳ちゃん」 聖さまが唐突に切り出した。 「はい?」 「さっぱりした顔、してるから」 「ど、どうも……」 照れながらも、祐巳は、聖さまに違和感を抱いていた。 いつも通り飄々としながらも、その底には、怖いなにかが潜んでいるようだった。 目と鼻の先にいるのに、聖さまが、遠い存在のように感じられる。 祐巳に、一瞬の隙が生まれた。 「ゆーみちゃん!」 聖さまが両手を広げたと思うと、真正面から、むぎゅ、と抱きつかれる。 「ぎゃああ!」 「お、ひさしぶり、威勢のいい声。うーん、やっぱりたまらんのー、この抱き心地」 「聖さま、聖さま!」 夕方の校庭、さすがに人目がありすぎる。祐巳はばたばたと抵抗するが、抵抗すればするほど、聖さまは抱きつく力を強める。 「いいじゃなーい、みんなダンスに夢中だって。それに私は、見られたっていいよ」 「私が困りますー!」 「ほら、オクラホマミキサーって、プロレスの必殺技の名前みたいじゃない。だからこっちもプロレス、プロレス、ベアハッグ」 なんてセクハラ親父っぷりだ、聖さま。 しばらくもがくも、観念して、力なくうなだれる。 いつもならこのあたりでやめるのに、聖さまは、一向に抱きつく力を弱めようとしない。 「……志摩子さんと、会いました?」 ふと思い立って、祐巳は尋ねた。 「会ってない」 ややぶっきらぼうに、聖さまが答える。 抱きついたままだから、お互いの顔は見えない。 「さっきいましたよ、キャンプファイヤーの近くに。乃梨子ちゃんと一緒です」 「うん」 「乃梨子ちゃんとは会いました?」 聖さまは首を振った。 「孫ですよ、マゴ」 「志摩子って、あんな顔するんだね」 「え?」 聖さまの顔を見たくても、抱きつく力が強くて見えない。 「私ね、卒業式の前の日、ものすごく勇ましいこと言っちゃったでしょ。祐巳ちゃんのおかげで、卒業できた、って」 「はい」 「全然、そんなことなかった」 「えーっと、私の力不足でしょうか」 「ううん、私のせい」 聖さまは、余計に力を込めてきた。 冗談じゃなく、少し、息苦しいくらいだ。 「あ、あの……」 「大学で、授業を受けて、先生と仲良くなって、友だちもできて。そうして初めて、自分が失ったもの、失っていたものっていうのがわかったんだ」 「なん……ですか?」 「私はね。三年になって、志摩子と出会うまで、死体だったんだ。ゾンビみたく、ウーウーうめいてた。自分が死んでることにも気づかないでね」 聖さまは、いったん言葉を切り、続けた。 「失った時間は、戻ってこない。三年になるまでの、死体だった二年間は。志摩子からも、お姉さまからも、祐巳ちゃんからも、蓉子や江利子からも、他のみんなからも……シオリからも、いろんなものをもらっていたのに」 そして、そっとつけ加えた。 「私はゾンビだったから、生きてる人間の食べ物が食べられなかったんだ」 『死体だった時間』なんて言われても、祐巳には想像もつかなかった。 祥子さまと出会う前は、友だちとなんでもないおしゃべりをして、些細な事件にいちいち驚いて。 祥子さまの妹になってからは、毎日が楽しかった。祥子さまといるとどきどきした。山百合会の仕事を手伝わせて、生き甲斐ができた。 それに、聖さまは、いつだって相談に乗ってくれた。 祐巳の手にあまる事件が起きた時は、一番心強い味方となってくれた。 いまみたいに抱きしめてくれて、祐巳の悩みを受け止めてくれた。 悩んでない時でも抱きつかれていたけれど。 「だから、ゾンビだったなんて言わないでください」 祐巳は、聖さまの背中に腕をまわすと、少しだけ力を込めた。 自分の体温が、少しでも伝わるように。 「聖さまの体は、こうしてあたたかいじゃないですか。ゾンビって死体だから、あたたかくないんでしょう?」 いつのまにか、人目なんて気にならなくなっていた。 どのくらい抱き合っていただろうか。 音楽が一巡し、ファイヤーストームの方で歓声が起きる。 「ありがと。本当に祐巳ちゃんからは、いろんなものをもらった」 聖さまは、体をゆっくりと離すと、祐巳を真正面から見つめた。 「好きだよ、祐巳ちゃん」 「え……?」 そのまま、聖さまの顔――というより唇が、今度はごく自然に近づいてきて。 唇が、頬に触れる。 「…………!」 ぱくぱくと金魚のように口を動かす祐巳。 聖さまは立ち上がると、裾を威勢よく、ぱんぱんとはたく。 「いつかの、お返し」 「あ……ああ」 卒業式前日の、祐巳から聖さまへの、頬へのキス。 「どうも……ありがとうございます」 なんとか、それだけ答える。 聖さまは背を向け、つぶやいた。 「嘘じゃ、ないからね」 「へっ?」 「『好き』、って言ったこと」 祐巳は絶句した。 聖さまの考えていることがつかめない。 いいや。 心の中では、わかっているのだ。 理性が、「そんなことあるはずがない」と、真正面から否定しているだけ。 祐巳は手を伸ばし、引き留めようとしたが、言葉が見つからない。 聖さまの後ろ姿が、闇に溶け込むように消えていった。 ダンスはまだ続いている。 みんな、楽しそうに踊っている。 あの焚き火のまわりで踊っている人たちの、何人が再び出会うのだろう。 いま、この学園にいる人間の、何人が知り合い同士で、何人と知り合わずに卒業していくのだろう。 その中に、これから出会う人間、大事な存在になる人間が、どれだけ存在するのだろう。 祐巳は、無性に泣きたくなるのだった。 |