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Smells Likes Teen Spirit(前編)



プロローグ

 さすがに寒いな。
 蓉子は、少しだけ体を揺すって、すぐにやめた。
 こんなことで寒さをまぎらわせられるわけがないし、貧乏ゆすりみたいでみっともない。
 コートやマフラーで厚着しても、真冬の屋外はさすがに寒かった。
 ファミリーレストランの前なのだから、入ればいいのだが、そういう気にもなれなかった。
 中は、クリスマスイヴを祝うカップルでいっぱいだ。
 いや。
 あいつらは、クリスマスイヴを祝ってるわけじゃない。恋人同士の世界に閉じこもりたいだけなんだ。ナザレのイエスも、きっと迷惑してるだろうさ。
 いつもの聖ならば、そう言って皮肉っぽく笑うかもしれない。蓉子は、いつでもむっつりとつまらなそうな友人の顔を思い出し、苦笑した。もっとも彼女の方は、友人だなんて思ってもいないだろうが。
 いまの聖には、そんな余裕などないだろう。
 寒空の下、彼女は苦しんでいる。
 彼女の苦しみを、少しでも分かち合いたい。
 だから、自分だけ暖をとるわけにはいかないのだ。
 どのくらい待ったろうか。
 聖が、武蔵野駅の南口から現れた。
 かたわらには、聖のお姉さまである白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)。しっかりと肩を抱かれている。
 蓉子は、小走りに駆け寄った。
 泣き腫らした聖の顔が痛々しい。
 聖は、謝罪のつもりか、あるいは顔を見られたくないのか、恥じ入ったようにうつむいた。
「心配かけて、ごめんなさい」
 ばちり。
 聖の謝罪の言葉を聞いた瞬間、蓉子は、びくりと自分の肩を抱きしめた。
 未知の感覚だった。
 蓉子の中で、花火がはじけたのだ。



1.

 終業式の日、クリスマスイヴから三日が経った。
 三日間、なにもする気になれず、起きて、食べて、寝て、という生活を繰り返していた。
 部屋のカーテンを閉め切っていたので、時間の感覚もとぼしい。
 聖の、うつむきがちの、あの姿が忘れられない。
 なにも手につかなかった。
 自分の行動が、理解できなかった。
 だいたい聖は、思う存分泣いて、白薔薇さまになぐさめられたのだ。
 蓉子がなにかしなくても、きっと立ち直ってくれると、頭では考えていた。
 でも、心配だった。
 部屋のドアがノックされた。
 どうぞ、と言うと、母が姿を現した。
「蓉子、あなた、どうしたの」
「休日なんだから、休んでるの」
「蓉子らしくないわよ」
 母は、ベッドに寝転がったままの蓉子を見下ろした。
 確かに、これまでは、ベッドに寝転がったまま、来客を迎えるようなことをしたことはなかったし、一日中パジャマで過ごすなんてこともしたことはなかった。そういえば、家事の手伝いもさっぱりしていない気がする。
 動物園の動物のような生活ではないか。
 こんなことは初めてだった。
 たゆまぬ努力によりすべてを支えてきた。蓉子は、その努力を一日でも放棄したことはなかった。少なくとも、中等部に入ってからはそうだ。
 毎日勉強を続けているというわけではない。遊びくらいは人並みに知っているし、休日を作ることもある。
 だが、遊びも休養も、すべて自分の計画に織り込み済みのものだ。
 計画にないごろ寝なんて、蓉子の一生とは無縁のものであったはずだった。
 蓉子は、むくりと起き上がった。
「そうね、そろそろ起きる」
「『起きる』、って……」
 母は困ったように笑った。
「もう夜の八時よ。お風呂沸いたから入りなさい、って言いに来たのよ」
「ああ、そうだったの」
 完全に時間の感覚がなかった。
 ぼんやりとした頭をどうにかするため、母の薦めに従い、風呂へと向かった。
 風呂場には、いい香りが充満していた。『温泉の素』が入っているため、湯船は緑色だった。父が温泉好きなので、風呂が沸くとかならず入っている。
 幼稚舎の頃は、苔が浮いているようでいやだったが、いまでは気にならない。
 湯船にゆっくり浸かると、体から少しずつ、疲労が抜けていくのがわかる。
「あー、気持ちいい」
 ごろ寝していても、疲労は溜まるものだ。
「ごろ寝していても疲れるなら、動いた方がいいわね」
 それに、ごろ寝していても、なにも解決しない。
 蓉子の頭が、三日ぶりに動き出す。
 訓練された頭脳は、問題を発見し、解決する方法を論理的に導き出してくれる。
 問題は、「聖の苦悩」ではない。「聖の心配をしている自分の心」だ。
 解決方法は?
 彼女の心を癒す手助けをし、かつ、この自分のもやもやを消すこと。それが、最良の結末だった。



2.

 点数にしたら、四十点。
 自分の作戦を採点してみたら、こうなった。
 対人関係は、式の解を求めるようにはいかないものだ。蓉子は、当たり前のことを、改めて噛みしめていた。
 まず、待ち合わせ場所を間違えた。
 といっても、向かう場所を間違えたわけではない。待ち合わせには不適切な場所を選んでしまった、というだけの話だ。
 よりによって、わずか一週間前のイヴの晩、聖が栞さんから待ちぼうけを食わされたM駅を指定することはなかったのだ。これだけで減点三十だ。
 次に、誘う相手と、誘うべきイベントを間違えた。
 聖は、学校の行事になると、必ずと言っていいほど寝ているか、興味なさそうにあさっての方向を見ていた。
 勢いであったが、初詣なんて、なぜ誘ってしまったのか。
 電話では、なんの返答もなかったので、ただ、M駅北口のバス停留所で待っている、と一方的に言うだけ言って切ってしまった。減点二十。来るのかもわからないのだ。
 他にも、電話する前に作戦を立てなかっただとか、なぜこんなことをしているのかとか、寒いとか、減点要素が積もり積もっている。
 ああ、と天を仰いだ。
 一年の計は元旦にありというが、元旦翌日の今日もあいにくの曇天だ。
 灰色の雲の向こうにまします我らの父イエスよ。
 なぜ私は、ここまでうろたえているのでしょうか。
「降りそうね」
 ぼそり、と真横で、不機嫌そうな声がした。
 いつの間にいたのか、聖が、蓉子と同じように空を見上げている。
 来てくれたのか。うれしい。
 こんなに近くにいるのに、なんと孤独な横顔なのだ。
 いろんな想いが、蓉子の中で濁流となり、渦巻く。
 情報を整理しなければならない。
 まずは、そう、挨拶だ。
「ごきげんよう。えっと……あけましておめでとう」
「…………」
 聖は答えず、つまらなそうに、ポケットに手を突っ込んでいる。
「あーっと……」
 蓉子は言葉を探した。
「ハッピーニューイヤー。謹賀新年。ボナネ」
「『ボナ……』? なにそれ、暗号?」
「やっとしゃべってくれた。日本語がわからないのかって不安になったから、英語とフランス語で言ってみたのよ」
「別に、おめでとうもハッピーもないから、祝いたくないだけ」
 不愉快さを隠そうともしない。
 磨き上げられた黒曜石のかけらを思わせる。
 周囲の光を奪う、闇。
 触れる場所を間違えれば、差し伸べた手を傷つける。
 前から美人だとは思っていたが、こんなにきれいだったろうか。
「私の顔に、なにかついてる? 私は、アメリカ人でもフランス人でもないよ」
 聖は怪訝そうに眉をひそめた。
 見惚れている場合ではなかった。
「日本人だったのね。宗派は?」
「神様なんて、いるわけないでしょ」
「私も同じ」
「それで、初詣、ね」
「七五三、結婚式はイエスの祝福、死ぬ時はお釈迦様、か。バカみたいだ」
「そりゃそうよ。神様なんて、この現代日本では絶滅危惧種なんだから」
「でも、リリアンのお聖堂には、マリア様がいたよ」
 聖は、口の端を吊り上げ笑った。
 胸が詰まった。



後編
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