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前編

Smells Likes Teen Spirit(後編)



3.

 M駅から学校までの途中に、神社がある。
 循環バスを途中下車すると、鳥居のところから、参拝客であふれかえっていた。
 休日の渋谷ほどぎゅうぎゅうに人がいるわけではないが、まっすぐ歩くのは難しそうだ。
「来なきゃよかった」
 聖はうんざりした様子を隠そうともしない。
 思った通り、初詣に来るのは初めてだったようだ。あるいは、忘れてしまうほど大昔のことだったのか。
「これ、どうすれば終わるの?」
 早く帰りたい、と言下に匂わせている。
 鳥居の前でまわれ右しなかっただけ、十分な進歩だと思いたいが、人混みに紛れられて、気がついたら帰られていた、なんてことも有り得そうだ。
 だから蓉子は、聖の手を握った。
「やめてよ」
 聖が振りほどこうとするが、蓉子はしっかり握りしめる。
「やめてよ」
「手をつないでないとはぐれるわ」
 適当なことを言いながら、ぐい、と手を引く。
「人混みなんて、よく歩く気になる。こんなに歩きにくいのに」
 ぶつくさと文句を言いながらも、聖は、意外なほどおとなしくついてきた。
「なんだろうな。私は、見せたかったのかもしれない」
「なにを?」
「人間を、かな」
「『人間』?」
「そう。いっぱいいるじゃない」
「そうね、うんざりするくらい」
 人がいる。
 好きこのんで神社までやってきている人たちばかりだから、軽く見まわしても、楽しそうに盛り上がっている者がほとんどだ。
 参道の両脇には、屋台が軒を連ねている。
 蓉子は、歩いているのとは反対側の屋台に、たこ焼きの店があるのを目ざとく発見した。
「あ、おいしそう」
 蓉子は手を引いたまま、「すみません」と口では言いながらも、堂々と道を横切っていく。
 髪を茶色に染めた同年代の男が、一パック四百円のたこ焼きを威勢よく売っている。
 口説き文句を適当にかわしながら、ひとつだけ買った。
「あとで食べよう」
 蓉子は、宣言するだけすると、手を引っ張って、本殿に向かう。
 聖のとまどいが、手袋ごしに伝わってくる。
 愉快だ。
 自分は、あの聖を困らせているのだ。
 栞を失った心の痛手を癒してやろうという最初の意気込みも、どうでもよくなっていた。
 わくわくする。
 もっと、聖を混乱させてやろう。
 それはつまり、自分を混乱させることと同じだった。
 本殿には、長い行列ができていた。
 最後尾に並ぶと、その背後にまた人々が並び、列が伸びていく。
 ただ待っているのも何だしと、ビニール袋からたこ焼きのパックを取り出したところで、あることに気づいた。
 つまようじが一本しかない。普通は二本ついているものだが。
「どうしようかしら」
「私はいらない」
「食べてきたの?」
「食欲ない」
 たこ焼きからは、ソースの匂いがただよい、ふたりの鼻腔をくすぐった。
 六つのたこ焼きの上では、青のりとソースとマヨネーズがたっぷりかかり、かつおぶしが文字通り踊っている。「美人だから」と、屋台の男が大量にかけてくれたのだ。
「ほら、こんなにおいしそう」
 表面的にはつんけんしているが、聖が、たこ焼きに興味を示していることは間違いなかった。
 蓉子は、つまようじでたこ焼きをひとつ刺すと、聖に向けた。
「はい、あーん」
「は……?」
 ぽかんと口を開けたところに、蓉子はたこ焼きをねじ込んだ。
「……っ! あっ、熱っ!」
 聖が、目を白黒させながら、なんとかたこ焼きを口の中で解体する。
「はぁ……っ」
 ごくりと飲み込むと、大きく一息ついた。
「おいしかった?」
「なんてことするのよ! 死ぬかと思ったわ」
「たこ焼きで人が死ぬわけないでしょ。毒なんて盛ってないわよ」
 蓉子がすっとぼけると、聖は、蓉子からたこ焼きのパックを奪い取った。
 もっと食べたいのだろうか?
 それとも怒ったのだろうか。
 謝った方がいいのだろうか。
 なにか言おうと口を開きかけた時、聖の手が稲妻のようにひらめいた。
 つまようじでたこ焼きをひとつ刺すと、湖面を離陸する水鳥のように、タッチ・アンド・ゴーでまっすぐ蓉子の口に向かう。
「…………っ!?」
 ほかほかのたこ焼きが、口の中にねじ込まれた。
 熱い。
 頭の中が真っ白になる。
 声にならない叫びを上げつつも、はふはふと空気を取り込みながら、口の中でたこ焼きを転がし、処理する。
 でも、おいしい。
 ソースとマヨネーズが、かつおぶしと渾然一体となる。噛むと、溶岩のようにどろどろで熱い中身がじゅわっと出てくる。たこも大きく、ぷりぷりしている。茶髪のせいでちゃらちゃらしているように見えたが、屋台の男のたこ焼きの腕はなかなかだったようだ。
 ごくり、とたこ焼きを嚥下し、大きく一息つく。
「ふーっ、死ぬかと思った……」
「たこ焼きで人が死ぬわけないだろ」
 聖が、意地悪げに、にやりと笑う。
「知らないの? 十六世紀に起きた『サン・バルテルミの虐殺』は、ユグノーがカトリック教徒にたこ焼きを食べさせたために起きたのよ」
「んなわけ……」
 そんなわけあるか、と聖が言いかけた時、蓉子はパックを奪い、またたこ焼きを一粒、聖の口に押し入れた。
「あっ、あーっ」
 聖が口を押さえ、熱がる。
「あは、あははははっ」
 賽銭箱にたどり着く頃には、六つのたこ焼きを、仲良く半分ずつ、すべて食べきっていた。
 しめ縄が、一本しかない。
「私はいいよ。神様、信じてないし」
 予想できたことだが、聖が、またこんなことを言い出した。
 蓉子は肩をすくめると、聖の手を取り、しめ縄を握らせる。
 聖の意志などお構いなし、ふたり寄り添う格好で、がらんがらんと鈴を鳴らした。
「さ、ここからは自分でやってね。二拝二拍一礼。願い事は、ひとりでしかできないから」
 あきらめたのか、聖は黙って言う通りにした。
 たこ焼きのつまようじも一本、しめ縄も一本。
 聖がなにをお願いしているのかは知らない。格好だけかもしれない。
 だが、蓉子の『お願い』は、いま決まった。



4.

 しめ縄を後続に譲り、本殿から少し離れたちょうどその時。
 ぽつり。
 髪の毛に、雨滴を感じた。
「まずいな」
 ぽつぽつ、ぽつぽつ。
 ボクシングなら、様子見のジャブだ。
 すぐに、雨が滝のように降り出した。
「こっちよ」
 蓉子は、聖の手を引き、神社の裏手にある雑木林へと逃げ込んだ。
 ざあざあという雨の音が、どこか別の世界のものであるように聞こえる。
 木陰に入れば、そんなに濡れずに済む。
 見ると、聖の長い髪から、水がしたたり落ちている。
 バッグからハンドタオルを取り出すと、蓉子は、聖の髪を拭き始めた。
「私より先に、自分のを拭けば」
「あとでいいわ」
「やめてよ」
「気にしないで」
「やめてよ!」
 聖は、大きく腕を振り、蓉子の手を払いのけた。
 水色のハンドタオルが、力尽きた蝶のように、ひらひらと土の上に落ちる。
「『世話焼きごっこ』につき合ってあげてたけど、もう、うんざり! あなたは、不幸な私を利用して、聖女にでもなった気になりたいだけなのよ!」
 蓉子は、やれやれ、と首を振った。
「……違うわ」
「なにが違うの。あなたみたいな人のことを、『偽善者』っていうのよ。私がこの世で、二番目に嫌いな人種」
「一番は『自分』?」
 聖が、まわれ右して走り出す。
 雨の中に飛び出すつもりか?
 蓉子は追いかけた。
 追いかけっこはすぐに終わった。
 聖が、木の根につまずき、よろけたところを、蓉子は体当たりするようにしがみついた。
 ラグビーの試合のように、ふたりは半ば泥の地面に倒れ込んだ。
「重い。どいて」
「聞いて」
「コートが汚れるわ」
「もう、汚れてるでしょ」
 それから蓉子は、ゆっくりと立ち上がると、聖を助け起こした。
「聖。私は、自分にも、他人にも、嘘をついたりしない」
 まっすぐ、聖の顔を見る。
 ささやくような声で言った。
「あなたの、友だちになりたいの」
「やめてよ」
 聖が、子供のように首を振る。
 なぜなの、と、蓉子は思った。
 なぜ、そこまで、他人を拒絶するの。
 気がついたら、蓉子は、聖の体を抱きしめていた。
 繊細なガラス細工をつまむように、そっと。
「私は、あなたが、好きなのよ」
 髪の毛を、やさしくなでてあげると、徐々に、聖の体の緊張が解けていくのがわかった。
「……ねえ、頼みがあるの」
 聖が、かすれた声で言った。
「私にできることなら、なんでも」
「もう少し、こうしていて」
 聖は、蓉子に、完全に体を預けた。
 神社の森には、八百万の神様が住んでいるという。
 気を利かせて、かなえてくれたのだろうか。蓉子は、ついさっきの『お願い』を思い出した。

 翼を失った友人の翼になれますように。
 比翼の鳥のように、この不器用な友人と、支え合って生きられますように。



エピローグ

 雨はやんだが、相変わらずの曇天だ。
 神社の参道には、ちらほらと参拝客が戻り始めていた。
 聖は、拭きそびれた長い髪を、鬱陶しそうに手で束ねた。
「その髪、切ったら?」
「それもいいね。どのくらいの長さがいいかな」
「スキンヘッドなんてどう?」
「リリアンより花寺だよ、それじゃ」
 聖は笑った。
 険のない、心からの笑顔だ。
「そうだなー」
 ふむ、と聖がしばし考え込む。
「おし、あんたくらいにしよう」
「ペアルック?」
「『シャイニング』の双子みたいで気持ち悪いから、髪型くらいは変えるよ」
「それがいいわね」
 ふたりは、鳥居に向かって歩き出した。
 一年の計は元旦にあり。
 蓉子は、新しい生活の予感に、胸をときめかせた。



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