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Summerteeth(前編) 1. 通風のため、ビスケットのドアは開けっぱなしなので、ぎっしぎっしと誰かが階段を登ってくる音がよく聞こえる。 「ごっきげんよ〜」 入ってきたのは由乃さま。 手にケーキの箱をぶら下げ、いつになく上機嫌だ。 「あれ、みんなどうしたの? 令ちゃ……私のお姉さまは?」 そう、会議室の中には、乃梨子しかいなかった。 冷蔵庫から、由乃さまの分の麦茶を用意しながら、乃梨子が答える。 「ご存じありませんか? 薔薇さま方は三人とも職員室です。学園祭についての打ち合わせだそうで」 「いつ帰ってくるかはわからないの?」 「遅くなるかも、とは聞いてます」 「な〜んだ。さっき、聖さまからケーキもらっちゃってさ」 由乃さまは、これこれ、と白いケーキの箱を示した。 なんだか、寿司詰めを買って帰る酔っぱらいのサラリーマンみたいだ。 「『祐巳さんに差し入れ』だって」 「志摩子さんにでなくて?」 「ほら、祐巳さんってこの間まで、祥子さまとごたついてたじゃない」 梅雨の間、祥子さまに何度もデートをすっぽかされた祐巳さまの落ち込みようといったらなかった。 あとから聞いてみれば、祥子さまがつきっきりで祖母を看病していたため、祐巳さまにつき合えなかったとのことだったが、だからといって、理由も話さず約束を破るのは、人間としてどうかと思う。 「まったくもって乃梨子ちゃんの言う通りなんだけどね。祥子さまって、ああ見えて、デリケートだから」 「わかります」 不安定。 それが乃梨子の、祥子さまに対する第一印象だった。 張りつめた風船のように、いつ破裂するかわからない。 「で、あの時、聖さまが祐巳さんを介抱したらしいんだわ。このケーキはアフターケアなんじゃないかな」 「まだ、お会いしたことないんですよね。志摩子さん……お姉さまは、あまり話してくれないし。祐巳さまからは、変な方だって聞いてます」 「祐巳さんに対しては、妙に変だったな〜」 「でも、いい方みたいですね」 「そうね」 うなずきつつも、由乃さんが、がさごそケーキの箱を開ける。 祐巳さまのための差し入れだっていうのに、開けてしまっていいのだろうか? もっと言えば、薔薇さま方を待つのが普通なんじゃなかろうか。 尋ねると、由乃さんの答えは明瞭だった。 「小腹すいちゃって」 礼儀正しいリリアン女学園の代表生徒じゃなかったのか。意外と適当なものである。 ケーキの箱から出てきたのは、お誕生日でもなければ食べないような、円形の大きないちごのケーキだった。 ケーキの中央には、チョコレート細工のサンタさんが笑顔で座っている。 ちなみにいまは、梅雨明けの七月だ。 「……うお」 センスがわからない。 サンタさんはともかく、普通、こういうケーキって、ショートケーキサイズのものを持ってくると思うけど。 「違うのよ」 由乃さまは首を振った。 「聖さまは多分、薔薇の館の人口を知らないのよ。志摩子さんとも全然会ってなかったみたいだし。だから、好きに切り分けられるように、大きなのをひとつ買ってきたんじゃないかしら」 「うーん、でも、このケーキ」 いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち。 いちごの数が八つ、等間隔に並んでいる。 「山百合会の人口がふたりか四人か八人でないと、平等に切り分けるのは不可能です」 「確かにそうね」 由乃さまは腕を組み、しばし、うーんと考えると、いちごをふたつつまみ上げた。 ひとつを自分の口に、もうひとつを乃梨子の口に運ぶ。 「はい、あーん」 「あーん」 釣られて、ぱくりと食べてしまった。 いちごのほどよい酸っぱさと、少しついたクリームの控えめな甘さが、口の中で溶け合う。 「おいしいわね、これ」 「そうですね〜」 素直に同意した。 写真以外では見も知らぬ佐藤聖さまだが、ケーキを選ぶ目は確からしい。 由乃さまはにこにこと、ケーキのいちごを配置し直している。 「って、ちょっと、由乃さま!?」 「証拠隠滅」 なるほど。 残った六つのいちごを等間隔に並べ直すことで、六人分に切り分けられる、というわけだ。 でも、どうなんだ? クリームの上には、最初に置いてあったいちごの跡が、しっかり残っているではないか。 「ナイフでうまくならせば問題ないよ」 と、由乃さまは、戸棚からナイフを取り出した。 ナイフといっても、もちろん、レストランで出てくるような、刃のないものだ。 左官がこてで土壁をならすように、ケーキの表面をナイフでなでつける。 だが、どうにもうまくいかない。 ケーキの表面にできた、ナイフでなでつけられた跡が、「証拠隠滅しました!」と叫んでいた。 「だいたい、大きなケーキにいちごが六つって、どう見てもおかしいですよ」 「六つにカッティングされてるピザだってあるじゃない」 「いちごのケーキにサラミは載ってませんので」 「意味わからんわ」 さて、どうしよう。 由乃さまは、再び考えると、 「……さっさと食べちゃおうか」 「はあ」 おとなしく、ケーキを切り分け始めた。 2. 会議室には、クーラーなんて上等なものなどないが、窓を全開にすれば、風が吹き抜け、そこそこ気持ちいい。 それに、薔薇の館は木造だったから、そこまで熱がこもらない。地震が起きると少し怖いけれど、夏場を過ごすには、なかなか快適な場所だった。 無縁だと思っていた生徒会の書類仕事も、やってみればなかなかおもしろいものだ。元々乃梨子は、地味な事務処理が向いていたのかもしれない。 「いいOLになれそう」という祐巳さまのお褒めの言葉には、正直へこんだけれど。将来なんて決めていなかったが、「OL」という響きは、社会の歯車の代表選手のようで、まだ学生の乃梨子には、いまいち好きになれなかった。 右だか左だかの脳がそんなことを考えている最中も、反対の脳が案件をてきぱき処理していってくれる。この分だと、あと五分もあれば、今週分の仕事がすべて片づいてしまいそうだ。まだ火曜日だっていうのに。 そういえば去年は、ずいぶんと苦労したって、祐巳さまと由乃さまがぼやいていたっけ。乃梨子ちゃんが来て、仕事が三倍の早さで終わるから、とても助かっている、と。 三倍って、私はシャアですか。そうボケても、『ガンダム』なんて誰もわかってくれなかった。別に乃梨子も、そこまで詳しいわけじゃなかったけれど。 志摩子さんはおろか、職員室から誰も帰ってこない。 会議室にいるのは、乃梨子と、由乃さまだけだ。 ちなみに、ケーキの真ん中に座っていたチョコレート細工のサンタさんは、やっぱり暑さが苦手だったらしい。お皿の上で溶けて、赤と白のよくわからないものになっていた。 由乃さまは、先ほどまでケーキを切り分けるのに使っていたナイフを逆手に持ち、背をかがめ、風でそよぐレースのカーテンを上目遣いににらんでいた。 「あっしはただの、旅の按摩ですぜ」 そう低い声で言ったと思ったら、次の瞬間には背を正し、ナイフを誇示するよう順手で掲げていた。 「テメエが座頭市だな!? テメエを殺しゃあ、親分からご褒美をたんまりいただけるんだ! 覚悟しろ!」 すると、またナイフを逆手に持ち替え、背をかがめる。 どうやら、時代劇の『座頭市』をひとりで演じているらしい。上目遣いなのは、盲目の按摩である主人公の真似のようだ。逆手に持ったナイフは、仕込み杖のつもりだろうか? 「ケガァしたくなかったら、道を開けておくんなせ……」 またナイフを順手に持つ。 「この、『目の不自由な人』がー!」 ずるっ。 乃梨子は思わず椅子からずり落ちた。 「え、どうしたの」 「なんですか、その『目の不自由な人』って」 「配慮」 会議室には乃梨子とふたりきりだっていうのに、誰に配慮してるのやら。 「昔の時代劇が再放送されると、時々穴あきになってるのよね。言葉狩りよ、言葉狩り!」 「はあ」 乃梨子は曖昧にうなずいた。時代劇なんて、いまのも昔のもめったに見ない。 まったく調子が狂う。 確かに、いつもこんなバカをやっているなら、仕事が遅いのも納得だ。 由乃さまは、座頭市になったつもりでナイフを振りまわしている。ずいぶんと楽しそうだ。 傍目には、コンビニ強盗がやけになっているようにしか見えないのだが。 「由乃さまって、傘を持ったらチャンバラ始めるタイプでしょ」 「よくわかったわね」 と、由乃さまは、ナイフを振りまわす手を止めた。 軽く息切れしている。額には汗が輝いていた。令さまが見たら卒倒するんじゃなかろうか。 「本当に由乃さまってさ」 「なに?」 「黙っていれば、美少女だよね」 「なによそれ。いつかは美少女剣士になるんだから。セーラームーン」 「そうやってボケるから、美少女に見えないんですよ」 事実、由乃さまは、下級生の人気が高かった。 正確には、人気というより、『島津由乃という環境』にあこがれる生徒は多かった。 支倉令という、王子さまのような姉(グラン・スール)に守られた、清楚で病弱な、薄幸の美少女。 だから、「島津由乃になりたい」「島津由乃のような妹(プティ・スール)を持ちたい」と思う生徒は多くても、「由乃さまの妹になりたい」と思う生徒は、案外いないようだ。 「そこらへん、祐巳さんはいいわよね〜」 「人気ありますもんね、普通に」 同年代の山百合会メンバーの中では、あきらかに見た目で劣っている祐巳さま。去年などは、薔薇さま方が美人ぞろいだったとかで、だいぶ気後れもあったという。 外見に関して、「みっともなければいい」などと開き直っている乃梨子には、まったくもってわからない悩みだ。 しかしながら、災い転じて福となったのだろうか。下級生には、「親しみやすい容姿」と好評なのだ。 「乃梨子ちゃんは……その」 「はい」 由乃さんは、少し口ごもったあと、続けた。 「祐巳さんの顔、どう思う?」 「どう、って……」 乃梨子は顔をしかめた。 なんと答えていいかわからない。 志摩子さんや由乃さまと較べて、劣っているのは事実だ。 が、乃梨子自身、他人の顔をどうこう言えるような顔じゃない。もちろん、どうこう言えるような顔だったからといって、どうこう言ってしまったら、ただの『性格ブス』だが。 そこまで考えて、乃梨子は、祐巳さまを的確に表現する言葉を思いついた。 「……『かわいい』、かな」 そう、「かわいい」だ。 「愛嬌がある」と言ってもいいだろう。 すると、由乃さんは、満面の笑みを浮かべた。 「うん、そうでしょ! そうよね!」 我が事のように、ナイフを持ったまま大はしゃぎ。座頭市ごっこをしている時より楽しそうだ。いや、いま続きをやっているのかもしれないけど。 親友を褒められたことがうれしいのだろうか。 乃梨子までほほえましい気分になって、言った。 「由乃さまって、祐巳さんのことが好きなんだね」 すると、由乃さまの動きがぴたりと止まった。 「そ……」 「『そ』?」 「そんなわけ、ないじゃない」 途端に不機嫌そうに、ぷい、とあさっての方向を向く。 由乃さまの顔は真っ赤だ。夏に紅葉するだなんて、いささか気が早すぎないだろうか、ってくらいに。 照れているのだろうか? 「あのー、由乃さま……」 「そんなことない! ないのよ!」 少し声をかけただけで、声を荒げ、ナイフの先端を乃梨子に向ける。由乃さまの目が、人斬りのそれだ。ケーキ用の刃のないナイフといっても、切っ先を向けられると、少し怖い。 「ナッシング! わかる? ドゥーユーアンダスタン?」 「イ、イエス」 なにをわかれというのかすらわからないが、乃梨子は両手を挙げうなずき、交戦の意志がないことを伝える。 「なら、いいのよ」 由乃さまの肩から、ふと力が抜ける。 ナイフをテーブルに置くと、開けっ放しのドアから、ふらふらと出て行った。 なんだったんだ、いったい。 乃梨子は首をひねり、因果関係を求めようとした。 一、祐巳さまが褒められる。 二、由乃さまが我が事のように喜ぶ。 三、由乃さま、「好き」という言葉を否定する。 「……まさか」 いや、そんな、あるはずがない。 だって、女同士で、だぞ。 女子校だから、そういう噂は聞いたし、中学時代の友だちも笑いながら警告してくれたが……。 そうだ、お姉さまに相談しよう。 こういう時に相談するための姉妹(スール)制度ではないか。 もう、かれこれ一時間経つのに、未だに帰ってこない。 どうなっているのだ。 見れば、チョコレートのサンタさんは、暑さの中、完全に溶けきっていた。 後編 |