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Treefingers 1. 祐巳さまをフッた。 フッてやった。 ロザリオを突き返してやったのだ。 クリスマスイヴの夕暮れ時。 雪が降り始めていたが、寒さは感じない。 体が火照っていた。 瞳子は、奇妙な高揚を感じながら、早足で歩いた。 バス停はすぐそこだ。 「おろ」 通りすがりの女が、瞳子とすれ違い際、そんな声を上げた。 瞳子は足を止め、振り返った。 コートを着た女だった。 外国人の血でも混ざっているのだろうか、日本人離れした、彫りの深い美人だ。 どこかで見たような気もするが、思い出せない。 女は、瞳子の顔をまじまじと見つめた。 「なにか」 「あ、いや……えーと、ねえ、君」 「はい?」 女は、決まり悪そうに頭を掻いてから、言った。 「おねーさんと、お茶しない?」 「……はあ?」 2. 『知らない人』について行ってしまったのも、制服のままファミリーレストランに入ったのも、気の迷いとしか言いようがない。 その『気の迷い』は、間違いなく、祐巳さまとのやりとりの余韻で産まれたものだった。 クリスマスパーティを抜け出した瞳子を、祐巳さまはめざとく見つけると、マリア像のところまでついてきたのだ。 ありがたいことに、祐巳さまは、瞳子の身を憐れんでロザリオを差し出してくださった。 あの方は、瞳子の身の上を知っているに違いない。 瞳子は、そんな確信に近い考えを抱いた。 だから、瞳子は断った。 ぼろぼろの物乞いにだって、憐憫のみの施しを跳ねのけるだけのプライドはあっていいはずだから。 3. 「あ、なんでも頼んでいいよ。いまならおごっちゃうよ〜」 女は、なにが楽しいのか、上機嫌に言った。 彼女は、来る途中のバスで、佐藤と名乗った。幼稚舎から大学生のいまに至るまでリリアン通いで、つい瞳子に声をかけてしまったそうだ。 なら、見かけたことがあったとしてもおかしくはない。 「いえ、別に」 「あ、そう。じゃあドリンクバーでいいか。コーヒーでいいかな?」 「はあ、まあ」 佐藤さんは、ウェイトレスを呼び止めると、よほどおなかがすいていたのか、ハンバーグセットをランチ大盛りで頼んだ。 彼女がドリンクバーに向かう間、瞳子は、窓を見つめていた。 窓ガラスには、自分の顔と、クリスマスイヴを過ごすカップルたちの姿が映っている。 雪は本格的に降り出していた。 明日は積もるかもしれない。 佐藤さんが、コーヒーカップを両手に戻ってきた。 「降ってるな〜。参ったね」 「雪は嫌いですか?」 「嫌いではないのだけど、そうだな〜、間合いが悪いっていうか。特に、十二月二十四日に降る雪は最悪」 と言うと、佐藤さんは、コーヒーを一口飲んだ。 どうやら彼女は、クリスマスイヴにいい印象がないようだった。わざわざイヴを日付で言うあたりに見て取れる。 「じゃあ、今日もなにかあったんですか」 「あ、きたきた」 佐藤さんの目の前に、ハンバーグセットが運ばれる。 「いっただっきまーす!」 瞳子の質問に答えず、佐藤さんは勢いよく、むしゃむしゃと食べ始めた。 やけ食いのようにも見えるが、ずいぶんと元気よく食べるものだ。 そういえば、クリスマスパーティの最中、なにも食べていなかったような気がする。 ソースの匂いをかいだせいもあろう、瞳子のおなかが、きゅるる……とかわいい音を立てた。 「……なんか頼んでいいよ」 佐藤さんは、食事の手を止めると言った。 「持ち合わせがないので」 「だから、おごるって」 「『聖夜の施し』ですか?」 「あは、なにそれ」 佐藤さんは失笑した。 「上級生は下級生におごる。それがリリアンの精神じゃない?」 「まあ、それはそうですけど」 「なら、気にすんなって。瞳子ちゃんが三年生にでもなったら、下級生になんかおごってやればいいんだから。さあ、好きなものを注文しなさい」 「はあ……それじゃあ」 「カツにしようよ」 「はあ!?」 思わず挙げた大声に、まわりの客が瞳子を注視する。 瞳子は縮こまって、それから小さな声で尋ねた。 「なんでカツなんですか」 「問題」 「はい」 「豚と馬が戦いました。勝ったのはどっちでしょう」 「トンチですか?」 「うん」 「……えーと」 「正解。『トンカツ食べたらうまかった(馬勝った)』」 「……はあ」 あきれてなにも言えない。 「ドリンク持ってきます」 「はいよ」 コーヒーではなく、紅茶を持ってきた。 ダージリンのストレートだ。 ミルクだの砂糖だのを入れるような気分じゃない。 テーブルまで戻ると、佐藤さんがにこにこ顔だ。 「頼んでおいたから」 「へ?」 「カツ定食のごはん大盛り」 「な、なんで」 「勝ったらカツ。違う?」 「脂っこいもの、嫌いなんです」 「佐藤さんが食べてください」 「私は食べちゃダメなんだ」 「どうして」 「私は、敗残者だから」 「……そうですか」 意味ありげなセリフを吐きながらも、佐藤さんはハンバーグを次々と切り刻み、口に運ぶ。 鉄板上に残ったハンバーグソースで、コーンとブロッコリーを平らげる。 トンカツ定食が運ばれてきたのは、佐藤さんが最後のポテトを口に入れたちょうどその時だった。 4. がんばれば、案外食べられるものだ、と瞳子は実感した。 よほど量が多かったり、調子が悪かったりした時以外は、食事を残したことはなかった。 家族でイギリス旅行に行った時も、両親が残していた、たいして味のしないフィッシュ・アンド・チップスを我慢して平らげたくらいだ。 「おいしかったでしょ」 佐藤さんが、白い歯を剥き出しに、ニカッと笑う。 瞳子は、答えられず、フーッと息を吐いた。 カツの切り身が六枚あるうちの、四枚目くらいから余裕がなくなって、味わわず、とにかく噛み砕くことに専心した。 いまは、食べ終えたという満足感でいっぱいだった。 「おいしかったならなにより。頼んだ甲斐があった」 「……もう食べられません」 「ええっ!?」 佐藤さんは大げさに驚いてみせた。 「デザート、頼んでおいたのに。特大チョコレートパフェ」 瞳子はうんざりと顔をしかめた。 「嘘、ウソ。私がふたり分食べるから」 「いいえ。私が食べます」 チョコレートパフェが運ばれてきた。 ふたり分。 佐藤さんと、瞳子の分だ。 特大チョコレートパフェは、本当に特大だった。 コーンフレークの上にアイス、アイスの上にクリーム、クリームの上に果物、果物の上にアイス、さまざまな果物、焼き菓子……。 「でかいね」 頼んだ当の佐藤さんの声が、うわずっている。 だから逆に、瞳子は勢い込んだ。 「いただきます」 瞳子はスプーンを構えた。 5. 時々瞳子は、世界の裏側に住む『恵まれない子供たち』のことを考える。 彼らは、なにかを一口食べられれば、水を手のひらひとすくい飲めれば幸せという人たちだ。 きっと彼らは、「もう食べられない」なんて思ったことはないのだろう。 乞食はイギリスにもいた。 彼らにとっては、家族がどうとか、本当の両親がどうだとか、まるで問題にならないのではないか。 ただ、目の前の食べることだけを、彼らは考えているのだろう。 瞳子は、彼らのことを想像しながら、チョコレートパフェを食べた。 残酷な気持ちになれる。 スプーンをひとすくいする度に、瞳子は子供をひとり殺していた。 6. ふたりとも、おなかを抱えて、ソファーにふんぞり返っていた。 「あー、食った食った」 佐藤さんはすりすりとおなかをさする。 食べきれないほど食べられて、満足そうだ。 「やっぱね、やけ食いに限りますよ、こういう日は」 瞳子は答えられず、浅く息づいた。 「顔、よくなったよ」 「はい?」 「声かけた時より、ずいぶんとよくなった。人殺しでもしてきたような顔してたから」 「相手は、蚊ほどにも感じてませんよ、どうせ」 「なにしたの?」 「フッたんです」 「ははあ……」 さすがリリアン高等部卒業生、佐藤さんは察したようだった。 「それで、任侠映画のやくざみたいな顔をしてたのね」 「『やくざ』……」 「しかも、菅原文太じゃなくて、『仁義2』の北大路欣也のぎらぎらした顔」 「わかりません、その例え」 佐藤さんは、コーヒーを一口飲み、喉をうるおすと、言った。 「フッた相手は、福沢さんちの祐巳ちゃん?」 「……見てたんですか?」 「うんにゃ。あなたのこと、学園祭で見かけたから。もしかしたら、ってカマかけたら、ズバリ賞」 「賞品は出ませんよ」 「あの子は、いい子だよ」 「わかってます」 つい、瞳子は答えてしまった。 そんなことくらい、見ず知らずの誰かに言われなくても、わかっている。 「だから、お断りしたんです。姉妹(スール)だなんて」 佐藤さんは、また一口飲んだ。 「なら、瞳子ちゃん、相当つらかったでしょ」 話しすぎた、と思った。 誰かに言う必要のないことだ。 それに、誰かに言われることでもない。 「放っておいてください」 「オーケー、放っておく」 それで、話は終わった。 7. 「じゃあね」 見も知らぬ佐藤さんとは、駅で別れた。 電車ではないのか、と尋ねると、駅前で飲んでいくのだ、という答えが返った。 もう夜だ。 中央線に乗ってから、初めて、祐巳さまをフッた直後の、残酷な気持ちが薄れていることに気づいた。 雪が降っていた。 |