Top  ■Profile  ■Blog  ■SS  ■Note  ■Concept  ■Link  ■Mail Form

Brilliant Mistake



 夕暮れの歩道を、ふたりの少女が歩いていた。
 田沼ちさとと、島津由乃だ。
 冬だったので、ふたりとも、コートとマフラーで身を固めていた。
 バレンタインデートの帰りだった。
「しりとりしよ」
 提案したのは、ちさとだった。
 元はといえば、デート中、由乃が「動物園に行きたい」と騒ぎ出したのが原因だった。
 おかげで、帰りの電車賃に、十円だけ足りなくなったのだ。
 ふたりは、さんざん論じ合った結果、歩いて帰るという選択肢を取った。
 K駅からは、十以上のバス停を越えなければならず、歩けば、おそらく一時間くらいかかるだろう。
 たった一年ではあるが、剣道部員として真面目に修練を積んでいるちさとならともかく、元々体が弱く、初等部から通して、体育の授業も数えるほどしか受けていない由乃では、歩くだけでも疲れてしまうだろう。
 少しでも気を紛れさせてやるべきだろう、そう考えたのだった。
 しかし由乃は、ちさとの気持ちを知ってか知らずか、
「なにも考えたくない……」
 弱音を吐いた。
 まだ十分も歩いていないはずだが、由乃は肩を落とし、背を丸め、足下を見ながら歩いていた。
 『血みどろ屋敷の経文』の天本英世に見えなくもない。
 ふたりは昼間、なりゆきで、映画館で新作のホラー映画を観ることになった。それが、『血みどろ屋敷の経文』だった。
 正直言って、内容はよく覚えていない。
 由乃も同じだろう。
 天本英世が血まみれ姿でまさかりを振り回していたことくらいだ。
 思い出したら、気分が悪くなってきた。
 気持ちを奮い立たせるために、ちさとは声を張り上げた。
「『しりとり』の『り』から行くよ! り……ええと」
「待った」
 由乃が、上半身をむくりと起こす。この仕草も、先の映画にそっくりだ。わざと真似しているのだろうか、とちさとは怪しんだ。
「『尻啖え孫市(しりくらえまごいち)』の『ち』からいくよ」
「はあ?」
「しりとりする時は、いつもこれで始めてるの。ちなみに司馬遼太郎の小説ね」
 と、由乃は、胸を張って言った。
 令さまも、ずいぶん苦労なされているようだ。
 気を取り直し、ちさとは考えた。
「じゃあ、『ち』……ね。『血みどろ屋敷の経文』……だと終わっちゃうから、えーと」
「思い出させないでよ」
 由乃が、苦虫を噛みつぶしたような顔になる。
「『ち』……『チャイルド・プレイ』」
「『池田大助捕物日記』」
「『き』? 『吸血鬼ノスフェラトゥ』」
「『トゥ』じゃ無理よ。ってか、さっきからなによ! ホラー映画ばっかじゃないの!」
「え、だって……好きだし」
「あんなに怖がってたのに?」
「バカね」
 ちさとは笑った。
「怖くなきゃ、おもしろくないでしょ」
「でも昼間、あんなにいやがってたじゃない」
「それは……」
 由乃に弱味を見せたくなかったのだ、だなんて、言えるわけがない。
「『う』でいいわよ」
「えーと、『腕におぼえあり』」
「『リング』! 山! 貞!」
「『軍兵衛目安箱』」
「『ゴースト血のシャワー』。あ、次『わ』で」
「『若さま侍捕物帳』。ちなみに田村正和」
「『う』……『ヴァンパイア』」
「ちょっと待って」
 由乃が立ち止まった。
「どうしたの? 限界?」
「『ヴァンパイア』って普通、『ば』じゃない?」
「え、でも、日本語表記だと『ヴァ』よ。下唇を噛みながら『ヴ』の発音」
「『スペース・バンパイア』は『ば』じゃない!」
 そんな映画、よくご存じで。ちさとは感心しながらも反論した。
「そんなの関係ないよ。邦題に従ってるだけだし」
「『ヴァンパイア』は『ば』なの!」
 なんだなんだ。
 ちさとはとまどった。
 由乃が頬をふくらませ、両腕を振り上げている。
 由乃ほどの美少女だからこそ、絵になるゴネ方だ。
 この子は、しりとりになにをむきになっているのか。
 令さま目当てで遠くから見ていた頃は、ちさとは、由乃のことを『深窓の令嬢』だと思っていた。
 剣道部の部活や、先ほどのデートを通じ、まったくの思い込みだということもわかった。
 しかし、デート中、けったいな言動が目立つ気がしたが、さすがにちさとの想像を超えた。
 別に『宇宙人東京に現わる』を出してもいいのだが、ここまでむきになられると、引き下がる気にもなれなかった。
 自分でも、なぜ、ホラー縛りでしりとりをしているのかはわからなかったが。
「だーめ。『ヴァンパイア』って、しっかり書いてあるんだから」
「『ば』よ!」
「『ヴァ』!」
「『ば』!」
「『ヴァ』!」
 ふたりを、バスが追い抜いていく。
 ……なにやってるんだか。
 ちさとは苦笑し、ひとつ提案することにした。
「ねえ、由乃さん……」

 令は、自分の部屋で、ごろんと寝転がりながら本を読んでいた。
 だぶだぶのトレーナー上下だ。
 由乃ならいざ知らず、他人に見せられるものではない。
 本は、コスモス文庫の恋愛小説だ。
 読みながらも、心はどこかで、由乃を気に懸けていた。
 自分の知らないところで、由乃がちさととデートしている。
 気にはなっていたが、気にしてもしょうがない。
 由乃は、もう、自分から離れる時なのだ。
 だから令は、リリアン以外の場所を受けてきたのではないか。
 もやもやが頭から離れない。
 ぴんぽーん。
 物思いを打ち払うかのように、支倉家のドアホンが鳴らされた。
「由乃ちゃんよー」
 母が呼んでいる。
「はーい」
 令は、ぼさぼさの髪のまま、玄関に向かった。
 いまさら取り繕うものもない。
 何気なくドアを開けると、そこには由乃だけでなく、ちさとまでいた。
「な、な、ななな」
「令ちゃん!」
「令さま!」
 うろたえる令をよそに、ふたりは令にむしゃぶりついた。
「は、はい! なんでしょう!」
 思わず丁寧語になる。
「『ヴァンパイア』の頭文字って、『ば』と『ヴァ』のどちらでしょう!?」
「『ば』よね?」
「邦題では『ヴァ』なんですよ!」
「……は?」
 令は、呆然とする以外になかった。



このページのトップへ