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Song For Sunshine 由乃の部屋には、由乃に必要な物しか置いていなかった。 ベッド。 小さめのクローゼット。 CDコンポ。 勉強机。 本棚。 本棚。 本棚。 友人は、物珍しそうに部屋を一通り見まわすと、つぶやいた。 「なんだこれは」 「『なんだ』って、なによ」 由乃は眉をひそめた。 「女の部屋に見えない」 「別にいいじゃないの。文句ある?」 「ありません」 「なら、シッダゥン(Sit down)」 指さした先のクッションに、友人がおとなしく座り込んだ。 どっこいせ、と由乃もあぐらをかく。 「元・黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)とは思えないわね。ファンの子が見たら卒倒したでしょうに」 「うるせー。別にアンタだからいいのよ」 「私ならいいんだ?」 「友だちを部屋に呼ぶなんて、めったにしないから。令ちゃんと祐巳さんと、あー、あとは菜々だ」 「四人目ってわけ? それは光栄でございます、『黄薔薇さま』」 「それやめろって!」 この友人の名を、田沼ちさとと言った。 由乃が初めて会ったのは、高等部一年の時の、バレンタインデーのイベントだった。 第一印象は、愛しの令ちゃんを横取りせんとする、悪の越後屋のような存在だった。 それが、なんの因果か、剣道部で一緒になってから少しずつ話すようになり、さらに二年が経過したいまとなっては、友人というより『悪友』となっていた。 「玄関までは、来たことあるのよね」 「あの時は、わんわん泣いちゃって、かわいかったわねー」 バレンタインデートの夜、ちさとは、由乃の家を訪ねた。 ちさとの相手は、あこがれの『令さま』だった。 が、デートの間、『令さま』は、かわいい妹の話題ばかりして、あまつさえ、ちさとのことを『由乃』と何度も呼び間違えたのだ。 誰に訴えていいかわからず、しかしやりきれない気持ちを抑えきれなかったちさとは、由乃に泣きついたのだった。 「なつかしいね」 「なつかしいな〜」 「私は、いまもかわいいよ」 臆面もなく、ちさとが言ってのける。 由乃は手近なクッションを投げつけた。 クッションがちさとの顔面に当たり、ぼふっ、と間の抜けた音がする。 「なにすんのよ」 「アホなこと言うからよ」 「よしわかった、勝負よ」 ちさとは、鞄からゲームボーイアドバンスを取り出した。 「望むところよ」 由乃も、鞄から取り出す。 『マリオカートアドバンス』の対戦は、彼女たちの日課になっていた。 由乃は、名前が似てるという理由だけでいつも使用している恐竜ヨッシーを選ぶ。 対してちさとは、やはりいつも使っているワリオを選んだ。 恰幅のよい体を黄色い服で包み、ぎざぎざにとがったヒゲが特徴的の男だ。 ちさとはワリオを、『黄薔薇さま』と呼んでいた。 「服が黄色いからね」 「いい加減そこから離れろって」 レースがスタートする。 スタートダッシュ後、軽量級のヨッシーが先んじるが、ダッシュが遅い代わりに最高速が高いワリオが、後ろから追い上げる。 いくつものカーブを曲がり、いくつものコースを抜ける。 ゲームに区切りはあるが、延々と続けるため、ふたりの勝負に実質的な終わりはなかった。 「菜々がね、このコースうまいのよ。勝てなくて勝てなくて」 由乃がぼやくのは、『クッパキャッスル2』というコースだった。 石造りの城の内部がコースになっている。 一歩道を踏み外すと、溶岩に落ちてしまうため、慣れないと難しいコースだった。 乗るとダッシュできる板がそこかしこに配置されているため、スタートダッシュの有利な軽量級を使用するヨッシーは、どうしても不利だった。 「あんたさあ」 ちさとは、画面から目を離さずに言った。 「なに?」 「菜々ちゃんとの絶縁の理由、なに?」 「言ったじゃん、マリオカートのせい」 「マジで?」 「うん」 「マジだったら、私も絶縁するわよ。いま負けてるし」 「ちさとは、将来って考えてる?」 「あ? うん、漠然と」 ハンドルを切るのと一緒に、ちさとの体が自然と横に傾く。 「『大学どこにすんの』って聞いたら、『お姉さまは、どうしてリリアン女子大に?』って」 「うん」 「私、理由なんて、全然考えてなくてさ」 「うん」 「そしたら菜々が、『お姉さまらしいですね』って。そんでキレた」 言い終えるか否かの時に、由乃の首が、ほぼ横九十度に傾いた。 ヨッシーが、コーナリングに失敗したのだ。 「あーあああああああ」 「で、大喧嘩?」 「そういうこと」 「将来かあ」 ヨッシーのカートが、また走り出す。 ダッシュ板を踏めたおかげで、立ち直りは上々だ。 「なんかやりたいこととか、ないの?」 「それがさ、私、全然考えてこなかったんだよね」 「ホントに?」 「うん。二十歳までには死ぬって思ってたから」 子供の頃は、常に、死の危険性を感じていた。 錯覚だったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。 つい何年か前まで心臓を患っていた由乃にとって、死とは、いつ訪れるかわからない、身近なものだった。 だから、最初から、『未來』などないものと考えていた。 手術に挑戦し、成功したことで、由乃の体は、だいぶ健康になった。 かなわぬと信じていた、大好きな『令ちゃん』と並んで歩くこともできるようになった。 だが、権利を得るということは、義務を課せられることでもあったのだ。 『令ちゃん』は、別の大学に進み、由乃の下を離れていってしまった。 いまはもう、寄りかかれる杖などない。 「だから、どうすっかなあ、って」 「手術する前に、あれやりたいこれやりたいってのはなかったの?」 「将来に関しては、なにも」 「将来のこと以外では?」 由乃は口ごもった。 「どんなの? 言ってみて」 言いにくそうに、口を開いた。 「……『キャッチボールする』、とか」 ちさとは、しばらくなにも言わなかった。 「ほら、私、体弱かったし。いまはいまで、相手いないし。祐巳さんそういうタイプじゃないしさ」 早口でまくしたてながら、ちらりと表情をうかがうが、ちさとは画面に熱中している。 部屋の中に、マリオカートのポップな音楽のみが響いた。 「よし」 突然、ちさとがひとりでうなずいた。 「なに?」 聞き返した瞬間、ヨッシーの体が宙を舞った。 ワリオが後ろから発射した赤こうらが、ヨッシーに当たったのである。 「あああああー」 ちさとは電源を切り、すっくと立ち上がった。 「行こう」 「へ、どこに」 「キャッチボール」 リリアン女子大の一角に、広い芝生がある。 大きな木が一本立っていて、昼間だと、その下で弁当を食べている生徒なども見かけられる。 夕方頃になると、通り道にないためか、人の姿がまばらになり、さみしくなる。 三人はそれぞれ、グローブを手にはめ、三角形に立っていた。 由乃、ちさと、そして祐巳である。 「なんで祐巳さん呼んだのよ」 と、由乃が口を尖らせた。 「リダイヤルの一番上だったから」 「来ちゃいけなかった?」 祐巳が顔を曇らせている。 「別に……そんなこと、ないけど」 「ほいっ」 ちさとがボールを投げた。 野球選手のような、豪快なオーバースローだ。 ぱすん、と気持ちのいい音を立て、ボールは祐巳のグローブに収まった。 「あっ、えーと」 祐巳も、オーバースローで投げる。 ぽすん。 飛距離が少し足りないものの、由乃は一歩進み出てキャッチした。 手首に、受けたボールの震動が伝わる。 「おしっ」 由乃は、大きく振りかぶり、ちさとへ投げた。 だが、ボールは小さく弧を描き、半分も飛ばずに落ちてしまう。 とーん、とーん。 バウンドが小さくなり、やがてゴロになった。 ちさとは、やれやれと首を振ると、拾ったボールを投げ返した。 「どうしろってのよ」 「不満そうな顔、してたから。やり直したいんでしょ」 図星だった。 「本当に、由乃も、感情隠すのヘタよね」 「あーっ、それって、私のこと!?」 ちさとはびしっ、と祐巳を指さした。 「うん、リアルサトラレ」 憤慨する祐巳をよそに、由乃は再び振りかぶった。 「ストップ!」 ちさとの号令に、由乃は腕を上げたまま、ぴたりと制止する。 「姿勢からしてダメねー。下投げにしたら」 「絶対やだ! アンタらオーバーじゃん」 アンダースローなら投げきれる気もするのだが、ふたりともオーバースローなのに、ひとりだけアンダースローだなんて、かっこ悪すぎる。 由乃は、自分の負けん気が、こういう時に、特にいやになった。 力もないのに、主張だけは一人前。 そうやっていつも、令を困らせてきた。 「じゃあ、祐巳さん」 と、ちさとが声をかけた。 「なに?」 「いまから、祐巳さんがコーチね」 「ええ? 私だってうまくないよ」 「でも、投げられるじゃない、まともに」 「無理だよー」 口では不平をこぼしながらも、祐巳は由乃の横に並んだ。 「いい、由乃さん。こう」 祐巳が、空気のボールを持って、ちさとへと投げた。 「こう?」 由乃も真似したつもりだったが、実物のボールは、へろっと落ちる。 「違うって。こう」 「こう?」 へろっ。 「こうだって」 「こう?」 ぼとっ。 ちさとが、くすくす笑いながらボールを投げ返す。 「『鳥人間コンテスト』みたい。『計測不能』っての」 「むかつく!」 地団駄を踏んでみても、なにも変わらない。 いらいらがつのる。 届かないボールの飛距離が、飛べない自分のような気がして、ますますいやになった。 と。 後ろから、祐巳が、覆い被さるように密着した。 「もう……いい?」 祐巳の手が、由乃の手にそえられる。 「う、うん」 祐巳は、由乃の手を、ぐいと引き上げた。 由乃の想像する『オーバースロー』より、手の位置が上にあった。 「こんなに?」 さらに、ぐい、と、左の肩が前に押し出された。 「由乃さんは、腰のひねりが足りないと思うんだ」 ぐいぐい。 右半身が後ろに引かれ、腰がめいっぱいにひねられる。 「い……いたたたたた」 「体硬いなーホント」 ちさとはあきれ顔だ。 「『マリオカート』やりすぎじゃない?」 反論する余裕もない。 「じゃあ、いくよ、由乃さん」 「お、おう」 祐巳が離れ、大きく振りかぶった姿勢から、ボールを投げる。 今度は、さっきよりは飛んだ。 ちさとが前に出て捕球する。 「おお!」 「おおお!」 「おおーっ!」 三人は歓声を上げた。 ただ、ボールを投げて、捕っただけだというのに。 「投げたぞ!」 「捕ったぞ!」 「クララが捕った!」 妙な狂騒が、三人を包んだ。 グローブを空に突き上げる。 もう夜だ。 生きていれば、こんな日もあるさ。 |